「第一回かぐやSFコンテスト」の応募作です。
 テーマは「未来の学校」
 最終候補の11作品には残れませんでしたが、審査員の井上彼方氏によるHonorable Mention(選外佳作)に挙げていただきました。
 ありがとうございます。
以下本文です。
「二時限目のチャイム」大谷津竜介
八月半ばの深夜、なんとなく寝そびれたカズアキは、ベッドで頭から布団をかぶり、目を閉じていた。夏期休暇中で大学の講義はないが、明日は近所のカフェでしているバイトのシフトを朝から入れているので、そろそろ寝ないとキツい。
 下宿先アパート二階の六畳は、クーラーがキンキンに効いている。カズアキは、夏に部屋を寒いくらいにして、冬物の布団をかぶって寝るのが好きだった。エコ的にどうなのかとは思うものの、どうしてもやめられず、今夜も設定は十八度だ。
 頭の芯はぼーっとしているのに眠気が来ない。いいかげんにしないと明るくなってきて、ますます焦って寝られなくなる。そう思ってさらに固く目を閉じたとき、
 チクリ。
 顎の下に、虫に刺されたような小さな痛みを感じた。
 「すまない」
 「……誰だ!」
 カズアキは小さく声にしたものの、自分の声は耳からは聞こえず、頭の中に音ではない形で響いた。なぜか、そうだとわかった。
 「おまえ、誰だ」
 「授業に遅れそうで、うっかり。本当にすまないと思っている」
 「だから誰だよ。授業ってなんだ」
 「もうすぐ、一時限目の休み時間が終わる。わたしは二時限目が始まるまでに、授業が行われる、次の教室へ入らないといけない」
 「意味がわからないんだけど。それに、どこから喋ってんだ」
 カズアキは、不思議に怖いとは思わなかった。
 「それはわたしが、きみの脳内分泌物を調整しているから」
 「言葉にしていないことまで読み取るのは気持ち悪いな」
 「だがこの方が、意思の疎通ははかりやすい」
 「そうか? この状況がオレにはまったく理解できてないけど」
 「いま、きみは死のうとしている」
 「は? 何を言い出すんだ」
 「わたしのせいだ。すまない」
 「いや、ちゃんと説明しろよ」
 「わたしは、次の授業に向かっていた」
 「それは聞いた」
 「きみにわかるように言うと」
 「馬鹿にしてんな」
 「←○〃◎▲」
 「わかるように言ってくれ」
 「わたしは、原子核の周りの電子の運動による差分を情報として存在する者だ」
 「わかるように」
 「エネルギー生命体のようなもの、だ。だがこれはあくまでも、わかりやすく説明するためのイメージで、本質ではないぞ」
 「わかった」
 「というわけで、だ。わたしは先生の到着前に教室へ入ろうと急いでいて、うっかりきみと衝突してしまった。衝突は現在も進行中だ」
 「もしかして、さっきのチクってのがそうか。あれ?」
 カズアキは、顎に手をやろうとして、身体がまったく動かないことに気づいた。さっきまで布団の外で気持ちよくひんやりしていた足先も感覚が無く、動かせない。呼吸だけは浅くできているが、声は出せなかった。仕方なく、頭の中で考える。
 「オレの身体をどうしたんだ」
 「いまわたしが、きみの顎の下から衝突して、脳の中を通り、頭頂付近から抜ける途中だ。私の直径は、きみの生命に対しては無視できるものだが、ここできみに動かれると点が線になって余計な部分を傷つけ、重大な結果を招きかねないので、一時的に身体の自由を制限している」
 「そんなにゆっくり進んでるのか。もっと早く出て行けないのかよ」
 「私は光と同じ速度で進んでいるので、客観時間では一瞬だ。だが主観では、あと四分ほどかかる」
 「なんのためにそんな細工をしたんだ。おまえがしたんだろ、それ。オレに気づかせずに一瞬で通り抜ければ、オレの身体が動くもなにもなく、オレはおまえが衝突だか通り抜けただかもわからずに、ふつうに寝てただけなんじゃないのか」
 「それはさっきも言ったとおり、きみが死のうとしているので、その回避のためだ。わたしとしても、自分のミスによる死は、できるだけ回避したい」
 「だからそれは、おまえのせいなんだろう」
 「そうとも言えるし、直接の原因は違うとも言える」
 「どういうことなんだよ、はっきりしろよ」
 カズアキは、ひどく冷静な自分に気づいていた。それは、この<エネルギー生命体>的ななにかが自分の脳内を調整しているためと思うと、それについてはしっかり気分が悪かったが、それで冷静さを失うわけではないのもまた、こいつのせいかと思いつつ、問い詰めた。
 「わかりやすく言うと、わたしはこの惑星の地表面をかすめるように侵入した。そこに折悪しくきみがいて衝突した。だが逆に言えば、きみにしか衝突しなかったのは不幸中の幸いでもある」
 「オレにそれを言うか」
 「この惑星と、きみ以外の住人にとってはね。しかしきみにとっては不幸にも、現在、宇宙空間、もっと言うとかつてのビッグバンの中心部方向から、きみの顔面に向かって垂直方向に高エネルギーの線状放射が放たれ、もうすぐ到達する。平たく言えばビーム砲的なもので撃たれて、もうすぐ命中する」
 「ビッグバンて本当だったんだな」
 「そこに反応するのか」
 「なんでオレが、そんなもんに撃たれなきゃならないんだよ」
 「正確には、撃たれたのはわたしだ。ただ着弾点が、きみの顔面というか、頭骨の中になってしまった」
 カズアキは、どこまでも冷静な自分がもどかしかった。
 「誰が撃った」
 いっそ激高できたら良かったのにと思いながら、そう聞いた。
 「先生だ」
 「なんだ、先生って」
 「授業だと言っただろう。授業は先生がするのだ」
 「先生がいるのはわかった。だけど、なんで先生がおまえを撃つんだ」
 「間違いなのだ」
 「それは」
 「先生は、わたしが遅刻をしたと間違えたのだ」
 「そんなことで、人を殺すほどのエネルギー放射をぶちかますのか、おまえの先生は」
 「あれは、そういうものではない、本当なら。きみの世界に似た事例を探せば、チョークを投げたというところだ」
 「人を殺すほどのチョーク投げをする教師は、地球にはいない」
 「あと私は遅刻しない」
 「無視か」
 「先生は間違えた。わたしはきみのところの単位で言うと六億分の一秒差で、二時限目のチャイムが鳴る前に教室に入れるのは確実」
 「どやるな。ていうかチャイム鳴るのかよ」
 「ただ、不思議なことがある」
 「聞いてやる。ったく、人の話を聞く気ないなこいつは」
 「私はきみに、足側からやってきて衝突したわけだが、その三メートルほど手前に、非常に強力な障壁があった」
 「アパートの壁だろ」
 「この巣の隔壁ではない」
 「巣で悪かったな。じゃあなんだ」
 「不明だ。しかしそこでわたしの速度が僅かに減衰したために、わたしはきみの頭骨の中で、先生のチョークとぶつかることになった」
 「一番の問題はそれだろう! 責任持って助けろよな」
 「それについては、主観時間を伸張したことにより演算リソースを確保でき、解決方法を発見した」
 「おお、やるじゃん」
 「先生がチョークを投げたのは、二十七億年ほど前だが」
 「ちょっと待て、オレどころか人類の影も形もない頃だ。絶対座標での地球の位置だって、その頃とは全然違うだろう。それがなんで今この時に、ここに狙いをつけて来るんだ」
 「わかってきたようだな。だが時間は一方に流れるわけではないし、我々は六次元まで扱えるから、絶対速度のマイナス値も操作可能だ。その中で時間と空間を折り畳むくらい、わけはない」
 「いや、わからん。ていうかそんなことができるなら、そもそもぶつかるなよ」
 「同じように」
 「またスルーか」
 「わたしが衝突したことで、きみは現在、脅威にさらされている。しかしさらにまた同じ理由で、その脅威から逃れることができる」
 「で?」
 「ポアンカレ形態を知っているか」
 「なんとなく」
 「きみには消化器系はじめ、いくつかの穴が存在するが、ここでは関係ない。だが現在、六次元的存在であるわたしがきみに開けつつある穴は、きみを一時的にポアンカレ的な別形態に変えることを可能にする」
 「というと?」
 「エネルギー放射がきみを捉える直前に、きみの身体をポアンカレ的別形態に展開する。平たく言うと、開きにする。と言っても、正確には球形だが」
 「それは、死ぬような気がする」
 「このまま直撃を受けるより、助かる確率は数億倍高い。成功はほぼ約束されている」
 「詐欺師の口上だ」
 カズアキは、冷静に泣きそうになった。
 「では展開する」
 「え? もう? ちょっと待っ……」
 次の瞬間、地球の中心へ向かって垂直に、超高エネルギーが激突した。しかし同時にカズアキに衝突した<エネルギー生命体>が、カズアキをポアンカレ的別形態から回復させる時に生じさせた、絶対速度の反転による揺り戻しで破滅的破壊は回避された。
 カズアキが意識を回復したとき、真っ白な地球は、数万年振りの高エネルギー照射で、全球凍結を脱する過程に入りつつあった。
 「どういうことだよ」
 カズアキは、身体の自由の制限が解かれたことがわかるのに、動かすべき手足がないことにうろたえていた。すでに脳内分泌物の制御もないはずだが、脳があるのかも疑わしい。
 「わたしも、きみを展開して初めてわかったのだが、きみもわたしに似通ったエネルギー的な存在だったのだな」
 「そんなことはない! オレは人間だ。起きたらバイトが」
 「それは、きみの観ている夢のようなものだ」
 「ならオレはなんだ」
 「わたしが、最初にきみに衝突する前に減衰を受けた障壁、あれはシェルターの外壁だった。非常に強力で分厚く、たいていの宇宙線は通さない。わたしのような存在か、先生のチョークくらい強力なエネルギーでなければ」
 「だからオレはなんなんだ」
 「滅んだ人類が再生するときのための、人類という種の基本的ミームの生体記憶装置、が近いかな」
 「オレは人じゃないのか。日常だと思っていたものも、親や友達も全部夢だったっていうのか」
 「そう悲観するものでもない。きみの存在自体が否定されるわけではない。怪我の功名だが、地球は蘇りつつある。きみの役目は終わった」
 「オレはどうすれば」
 「これも何かの縁だよ。よかったら、一緒に二時限目を受けに行こう」
 「なんだって……」
 「行くなら早く。でないと、今度はチョークじゃ済まない」
 (完)


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