昨日(2015.5.13)、五反田のゲンロンカフェで行われた
井田茂×東浩紀「系外惑星から考える――太陽系は唯一の可能性か」
を見てきました。

2015-05-13 18.56.11mTogetterでのまとめもありますが、個人的に気になったり気に入ったりしたことの覚え書きです。
記述や事実が不正確な場合は、すべてを僕の記憶に頼って書いているためです。
あと、かなり雑多な羅列になると思います。

・系外惑星は1995年になって初めて発見されたが、それまでは太陽系というモデルしか無かったために、そこから外れたデータは捨てていた。しかし、スイス(だったと思う)で連星の研究をしていた研究者がそれを使って発見した。

太陽系は内側に岩石惑星である水星〜火星があり、その外側に巨大なガス惑星である木星、そして土星がある。そしてそれを越えると今度はまた小さな惑星にな る。1995年までは、それ以外の構造は考えられていなかった。しかし発見されたのは太陽系で言えば最も内側の彗星よりもずっと恒星に近い軌道をとるガス 惑星(ホット・ジュピター)だった。

・さらに、大型のガス惑星なのに、恒星のすぐ近くを楕円軌道で回っているもの(エキセントリック・ジュピター)なども発見された。

・その後も系外惑星は次々と発見されて、1995年までは惑星のある恒星系のモデルは太陽系一つしか無かったのが、今では数千(確実なもの2千、たぶんそうかなが2〜3千)にもなった。

・しかし、発見される恒星系の構造が太陽系とかけ離れたものばかりなので、特に欧米系の学者は「やっぱり太陽系は特別」という説を取る研究者が多かった。これは多分に宗教的なものと思われる。

・しかしその後も続いた発見と研究によって、現在では「太陽系は数あるモデルの一つに過ぎない」が主流の考えになっている。

・とはいえ、系外惑星のある構造で一番多いのは太陽よりも暗くて小さい恒星のまわりを回っているパターン。

・ハビタブルゾーンに存在する惑星は実は考えられていたよりもずっと多い。全体の2割はあると考えられる十分な理由がある。

・とはいえ地球と同じように海と陸があってという惑星とは限らない。水が液体で存在できるとしても海しか無い惑星も多いと考えられる。そういった惑星では生物が発生したとしても地球と同じようなものになるとは限らない。

・惑星は同じ軌道をずっと回るとは限らない。アステロイドベルトやカイパー・ベルトを説明するには、惑星は軌道を考えると綺麗に説明が付く。
木星は始め現在の位置で誕生して、その後水星より内側の軌道へ行き、また戻ってきたらしい。ちなみに一度行ったのに戻ったのには土星が関係している。
木星が太陽に近づいて行った時に、土星が一緒にくっついていったらしい(土星ツンデレ説)。これが無ければ木星は内側へ行ったきりになったはず。でも具体的に何がどう作用したのか忘れたので後で関係書籍を読みたいと思います。

カイパー・ベルトの方は、海王星がやっぱり今よりもはるかに内側の軌道から現在の位置へ移動したと考えると、とてもすっきりするらしい。らしいというのは僕が忘れているだけでちゃんと説明ありました。

・ところで科学者には秘密結社的な集まりがあったりする。
例えば生物学者が自分の本業で異星人について語ったりするとまずい場合など、少人数で各分野の人間が集まりクローズドで議論を交わすことがある。

・ニュートンは実は惑星がそもそもなんで太陽の周りを回り始めたのかは説明できず、「最初は神様が「えいっ」って押した」と言ってる。

・カント哲学は、その辺の、自然(の理)と神様の折り合いをつけるような思想(だったかな。この辺は間違ってる可能性が高いです)。

・カントの最初の著作は惑星や銀河の生成についてのもの。
……になるはずだったが、執筆中に出版社が潰れて幻のデビュー作になった。でも、最初の本がそれということは、天体についての考察は余技では無く本気ということ。 現在では全集に入っているので、図書館などで借りられるはず。単行本で150ページ程度の分量。

・カント・ラプラス説と言うが、このカントの本はラプラスの学説よりも40年くらい早い。

・この本でカントは、ただ類推だけで語ることはせず、具体的に数値を上げて論を展開している。その結果、土星の輪には隙間があるとか、自転周期は6時間○○分○○秒(実際には約10時間13分)と、かなり良い線の結果を導き出している。

・もちろん、タイムスパンが数千年程度など、当時としての限界はある。

・銀河系の姿を現在に近いものとして理解し、そこから太陽系の公転面のことに言及するなど画期的な内容だった(というような感じだったと思いますが細部が違うかも)。

・この本の内容が現在のSF的なアイディアや世界観の基礎を作ったひとつではないか。

・さらにはトンデモ系科学の元ネタにもなっていると思われる(ヴェリコフスキーの「衝突する宇宙」の原典と思われる記述があったりする)。

・地球外生命体、特に知的生命体というものを考える時、この当時は、知性や人間がどういうものなのか、認識が揺らいでいた時代。
アボリジニとオランウータンが同時に発見されて、どちらが人間か? などと議論されていた。つまり、知性のモデルが一つではなかった時代。人間以外の種族の知性というものが認識されていた。

・19〜20世紀は逆に知性を持つ生物は人間のみと固定化されていた。

・むしろ現在の方がまたそのあたりの境界が不鮮明な時代になっている。
しかし例えばネアンデルタール人がもし絶滅しなかったら、自分たちの隣に、種は違うが文化を持ち、恐らく宗教なども理解する生物がいるという状況になって いて、系外の知性体というものを考える時に、自分たちとは全く違うモデルが存在しているということになったのではないか。

・系外惑星の発見というのは、恒星系と言えば太陽系一つしかモデルが無く、ハビタブルゾーンの惑星と言えば地球しかモデルが無かった時代を終わらせ、様々な可能性があることが認識されたという点が大きい。

・現在では、太陽系が特別なものではないというのと同じに、地球はハビタブルゾーンの惑星として理想型なのか? という議論もある。
地球だって砂漠とか極地とかあるし、もっと惑星全体が理想的な環境のスーパーハビタブルゾーンというのも提唱されている。

 

だいたいそんな感じの内容だったと理解したのですが、間違っていたり文脈が違う場合は、全て僕の勘違いや記憶違いや無知によるものです。
そして肝心のカントの著作の書名を忘れている……。

→ 翻訳家の増田まもる様よりご教示を頂きました。カントの著書は『天界の一般自然史と理論』ということです。
増田様ありがとうございました。